文春新書「発達障害」を読む 170717
結局遠出をしなかった3連休でしたが、皆さんはどう過ごされましたか。
北海道は初日→猛暑、2日目、3日目→大雨という3日間。
小樽や旭川では、道路が冠水してしまったそうです。
今日は私の住んでいる地域も激しい雨と雷が続きました。
そんなわけで、この連休は家でごろごろしながら本を読む時間が多かったです。
文春新書「発達障害」
ASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠如多動性障害)を中心に、それらの特徴や犯罪との関係性、発達障害をもつ人が社会で生きていくための方策などが書かれています。
発達障害の書籍をはじめとする情報が多く飛び交うようになり、なんとなく空気が読めないとか、対人関係が苦手だというだけで「あいつはアスペだ...」というレッテルが貼られるようになってきているんじゃないかと思っています。
でも、発達障害かどうかを見極めるのは一般人にはまず無理です。
性格であったり、生まれ育った家庭環境がそうさせていたりすることもあるからです。
しかし、ASDもADHDもきちんとした定義に基づく病気なので、もしかしたら自分自身が(もしくは我が子が)ASDやADHDなんじゃないかと思ったら、勇気を持って病院(多くの場合は精神科や子どもの発達を扱うクリニック)への受診をすべきだと思います。
ASDにしろ、ADHDにしろ、それぞれの障害がもつ症状が問題なのではなく、それが原因となって起こる社会的な不適応が問題なわけです。
例えば、「この子はいつも動いていて、元気があっていい!」という環境にいる間は、ADHDの特徴的な症状である多動や不注意が問題とされないわけです。
しかし、一定時間座っていることが要求される環境(学校なんかそうですよね)や細かいミスが指摘される(もしくは許されない)ような環境では、これは大きな問題として本人に降りかかってきます。
当然叱責もされます。
で、自分自身ではどうしようもできないことで叱られるというのは、本人にとっては納得もいかないし、当然いい気持ちにもなりません。
これが続くと(当然続くんだけど)自尊感情が下がり、二次障害につながっていくことが往々にしてあります。
じゃあどうすればいいのかってことになるんだけど、発達障害をもつ人自身に何かを変えてもらうということは難しいです。
自分自身が発達障害だということを自覚するまでには、かなりの時間が必要だからです、特に子どもにとっては。
やはり家族や同僚、教師やクラスメートといった周囲の人間が、発達障害をもつ人が生きづらさをできるだけ感じないような配慮が必要なんだろうなぁと思うのです。
どんな配慮が必要かは一人ひとり違うわけですが、発達障害をもつ人への配慮って、実は健常者(と思っている人)にとっても有益な場合が多いです。
手順を先に示すとか、作業に集中できる落ち着いた環境をつくるといったことは、健常者(と思っている人)にとっても、重要な環境整備だと思います。
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